京都駅周辺の再開発、「忘れられた街」はどう生まれ変わるのか

2018年11月22日

JR京都駅近くの一等地にもかかわらず、開発と無縁だった京都市下京区の崇仁地区が大きく変わろうとしている。京都市立芸術大が2023年度、西京区から移転してくるほか、長く塩漬けされてきた土地でビジネスホテルの建設が始まったからだ。崇仁地区は部落差別に苦しめられてきた土地だが、住民と学生らが食や芸術を生かした地域おこしにも取り組んでいる。京都文教大臨床心理学部の竹口等教授(人権・同和教育)は「新しい芸術教育の基地が誕生し、市民や観光客らが京都駅から東へ流れて新旧文化の結節点が生まれる。地区の将来ビジョンで示された創造・交流・にぎわいのまち創生につながりそうだ」とみている。

●期間限定の屋台村が観光客やサラリーマンに人気



 JR京都駅の烏丸口を出て塩小路通を東へ5分、商業ビルが建ち並ぶ一角を抜けると、屋台村の灯りが見える。京都芸大の移転予定地に設けられた崇仁新町で、夜になると京都駅の方向から勤め帰りのサラリーマン、OLや大学生、外国人観光客らが集まってくる。



 崇仁新町がオープンしたのは2月。京都芸大の建設工事が始まるまで2年半の期間限定の屋台村で、16店が約1,000平方メートルの敷地に並べたコンテナで営業している。コロッケや串カツなど定番メニューに加え、お好み焼きとたこ焼きの元祖ともいわれる崇仁地区のソウルフード「ちょぼ焼き」も人気の逸品だ。



 名古屋市から出張でやってきたウェブ会社の若いサラリーマン2人組は「京都へ来たらたまに寄る。安くておいしく、雰囲気もいい」とビールを飲みながら、いろいろな料理に舌鼓を打っていた。



 京都芸大と地域をつなぐことを狙ったアートイベントも定期的に開かれ、月当たりの来店客はざっと2万5,000人に達する。来店客の内訳は外国人観光客が4割、京都市民と国内の他地域から来た観光客、ビジネスマンが3割ずつだという。



 地元自治会の役員や大学教授らでつくる運営組織の渉成楽市洛座から管理委託を受けたwalksの小久保寧社長は「非常に多くの人が足を運んでくれている。若い事業者を集めたのが良かったのかもしれない」と笑顔を見せた。

●人口減少と高齢化のダブルパンチが深刻



 崇仁地区は京都駅東側に広がる27.4ヘクタール。かつては狭い路地に衛生状態が良くない木造住宅が密集していたが、京都市が戦後、住宅地区改良法を適用し、改良住宅の建設を進めてきた。改良住宅は一般の公営住宅と異なり、国土交通省が指定した地区で地方自治体が特定の住宅を買い取って新たな住宅に建て替えたあと、元の住人に低額で貸している。



1996年から地元まちづくり組織と京都市が協働し、域内を流れる高瀬川の流路を変更するなど、生活環境の改善にも力を注いできた。



 その結果、鉄筋の改良住宅が点在する街並みに変わったものの、改良住宅用地の買収難航などから空き地が多く、空き家となった古い木造住宅もあちこちに残っている。京都駅が外国人観光客で大混雑しているだけに、まるで忘れられた街のように見える。



 人口は戦後すぐに6,000人を数え、1万人近くに達したこともあった。しかし、改良事業の停滞で地区外へ移転せざるを得ない世帯があり、2015年には約1,400人まで減少した。主に流出したのが若い世代だったことから、住民の高齢化も深刻だ。



 地元自治会である崇仁自治連合会の菱田不二三会長は「防災訓練をしたら、杖を突いた高齢者が指揮し、住民の多くがおぼつかない足元で従っている状態。この状況を打開しなければ地域の未来はない」という。

京都駅周辺はもともと、京都市の中心部ではない。しかし、京都駅が玄関口として発展するのに伴い、経済界などから京都駅のすぐ近くに空白地帯が存在することに「もったいない」という声が上がっていた。

●京都芸大が2023年度に西京区から移転



 京都芸大が進出するのは、地区内の川端町、下之町、東之町、西之町、上之町にまたがる約3万8,000平方メートル。京都芸大が延べ約5万5,000平方メートル、中京区から移転してくる銅駝美術工芸高校が延べ約8,000平方メートルの校舎を建てる計画。2020年度から工事に入り、2023年度から使用を始める。



 京都芸大は1880年、日本初の公立絵画専門学校として創設された京都府画学校が前身。1950年に京都市立音楽短期大と統合されて京都芸大と名称を改め、1980年に郊外の新興住宅地に当たる西京区大枝沓掛町に移転した。



 しかし、校舎の老朽化などから都心部への移転を決め、まとまった土地がある崇仁地区に白羽の矢を立てた。予定地は改良住宅事業地で、国の補助金を返還しなければ商業施設などを建てられないが、学校であれば問題がなく、京都市や地元自治会も受け入れを決めた。



 移転後は教職員と学生、生徒を合わせて京都芸大の約1,200人、銅駝美工の約300人が崇仁地区に通う。現在の地区住民数にほぼ匹敵する数の若者がやってくることになり、地区の雰囲気が大きく変わることは間違いない。



 海外では、芸術家や芸大生が荒廃した地域に移り住むことで、住宅のおしゃれな改装やユニークなウォールアートが増え、地域再生に成功した例がいくつもある。米国ニューヨークのブルックリンにあるゴワヌス地区、英国リバプールのグランビー・ストリートなどが有名だ。

京都芸大の天沼憲総務広報課長は「移転後は芸術や文化面で住民と交流を深め、ともに歩んでいきたい」、京都市行財政局総務課の市田香芸大担当課長は「芸大と連携することで崇仁地区が良い方向に向かってほしい」と期待している。

●塩漬けされた土地にビジネスホテルが着工



 京都芸大移転予定地以外でも新たな動きが出ている。下京区材木町でビジネスホテルの建設が始まったことだ。この一帯は1980年代に当時の消費者金融大手が土地取得に乗り出したが、バブル崩壊の影響で頓挫し、長く塩漬けになっていた。



 外資系の信託会社が2017年に土地を取得し、地下1階地上9階建て延べ約1万7,000平方メートル、客室472室のホテルを建設している。完成予定は2020年3月。近くの不動産業者は「外国人観光客の急増で宿泊施設不足が続くだけに、塩漬けされた土地にも影響が及んだ」とみている。



 しかし、崇仁地区に開発の波が押し寄せ、風景が一変したとしても、住民が置き去りにされたのでは意味がない。菱田会長は「地区を離れた若い世代が戻ってくるような施策を行政が考えてほしい。学生には地域の伝統行事を守り、高齢者を助ける役割を期待する」と要望する。



 地元の小学校5学区による崇仁エリアマネジメントでは、「人が大切にされ、住み続け、ともに暮らすまちづくり」という方向性が打ち出された。竹口教授は「地元住民と若者、訪問者が買い物や飲食、健康維持などで利用できる生活基盤施設の導入が急務だ」と提言する。

長く取り残されてきた崇仁地区が、ようやく生まれ変わろうとしている。京都市は土地の有効活用だけに目を向けるのではなく、この変化が住民の幸福にもつながるようこれまで以上に配慮することが求められている。

政治ジャーナリスト 高田 泰(たかだ たい)

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181122-00035713-biz_plus-bus_all&p=1