開業時意識、ときわ台駅舎リニューアル。こうして常盤台は高級住宅街になった

2018年6月8日

東京・池袋駅を起点に埼玉方面へと走る東武東上本線は、“本線”という名前がついていますが、東武鉄道の実質的な本線は浅草駅を起点にしている伊勢崎線です。東上線は東上鉄道として開業しましたが、すぐに破綻。その後、東武鉄道が経営を引き継ぎました。“東上本線”の名称は、東上鉄道時代の名残です。

東上線の経営が移管された後、東武は東上線の沿線に住宅地の造成を計画します。それが、ときわ台駅前から広がっている住宅地の常盤台です。当時、私鉄各社はこぞって住宅地の造成に取り組みました。自社沿線に住宅地をつくれば、鉄道の利用者増が見込めたからです。常盤台も、同じような経緯から東武が開発を進めました。

5月30日、住宅地・常盤台の玄関駅「ときわ台駅」がリニューアルを果たしました。生まれ変わった駅舎は、1935(昭和10)年の開業当時を意識したデザインと色使いになっています。このデザインと色は、住宅地・常盤台の街並みに調和するようにとの話し合いによって決められました。



 東武が、常盤台の住宅開発を始めてから約80年。緑豊かな住宅地だった常盤台一帯は、時代とともに都市化し、街の緑は減少傾向にあります。街が都市化することは時代の趨勢でもありますが、常盤台をはじめ東京の各エリアでは良質な住環境や景観を維持しようという動きが出てきています。

 

住宅地、常盤台の設計は旧内務省が担当

 明治末期から昭和初期にかけて、鉄道会社は住宅地の造成に力を入れていました。東急の田園調布、小田急の成城学園なども、この時期に誕生しています。これらの住宅地は、今や東京でも屈指の高級住宅街と知られます。“板橋の田園調布”とも呼ばれる東武の常盤台も、同じような経緯で同時期に開発された住宅地です。

常盤台の設計を担当したのは、旧内務省職員だった故・小宮賢一です。東武が開発を主導した常盤台ですが、設計は内務省が担当。当時、小宮は内務省の若手職員でした。そのため、常盤台は省内で大きな期待をかけられていなかったと言われます。それでも、内務省という国家機関が担当したわけですから、常盤台は国家の威信を賭けて計画・造成された住宅街という見方もできます。



 常盤台一帯の地図を眺めると、駅北口のロータリーから放射状に道路が延び、街の中心部にはプロムナードと呼ばれる環状道路が配置されています。プロムナードは道路中央にプラタナスやイチョウが植えられた道路で、景観の向上や歩行者優先といった設計思想が込められています。



 そのほか、常盤台の街にはクルドサックと呼ばれる袋路や、人しか通行できないようなフットパスと呼ばれる小径も整備されています。こうした設計思想が、常盤台を高級住宅街に押し上げました。

 

高度経済成長、バブル……時代の変化で必要になった景観ガイドライン

 「当初の常盤台は、決して高級住宅街を意識していたわけではありません。歳月を重ねることで“高級住宅街”と認識されるようになりました。常盤台がそこまでの評価を得るようになったのは、なによりも街の設計が優れていたこと、そして良質な住環境と街並みを長く守ってきたからだと思います。常盤台の特徴は、何と言っても道路と緑です」と話すのは、NPO法人ときわ台しゃれ街協議会の中島淑夫理事長です。

NPO法人ときわ台しゃれ街協議会は、2007年から常盤台の景観や住環境の維持に取り組んできました。近年、こうした景観や街並み保存といった意識は強まっています。



 東京都が景観や街並み保存の取り組みを本格化させたのは、石原慎太郎知事(当時)の時代にまで遡ります。雑多な東京の街並みに嫌悪感を抱いていた石原知事は、美しい東京を目指すべく「東京のしゃれた街並みづくり推進条例」を制定。制定された条例に基づいて、街並み景観重点地区を指定していきました。そして、指定されたエリアでは、NPO団体や財団法人が街並みや景観維持のガイドラインを作成し、それらを住民ルールとして運用することになったのです。



 中島理事長たちも「ときわ台景観ガイドライン」を作成。同ガイドラインでは、常盤台全域で「道路から見える場所に、一本以上、できるだけ多くの高木を植栽」という共通方針を設け、住宅地は敷地面積に応じて緑化や植栽の基準を設定しました。また、商業ビルやオフィスビルにも屋上看板や路上への置き看板などに規制を設定。個人・法人が一致団結して街並みを守ろうとしています。



 ときわ台しゃれ街協議会は都から認定を受けた団体ですが、だからと言って勝手にルールを制定できるわけではありません。あくまでも、地域住民の同意が必要です。常盤台が造成された当時なら、こうしたガイドラインは不要だったかもしれません。しかし、住民の世代交代や時代の流れもあって、常盤台の街や住民たちの意識も否応なしに変化しました。

「常盤台を大きく変えた、もっとも大きな要因は地価の高騰です。高度経済成長やバブルを経て、常盤台の不動産価格は一気に上がりました。そのため、相続や固定資産税の関係で、家屋や土地を手放してしまうケースがあります。ほかにも転居といったやむを得ない事情もあります。協議会は土地が細分化しないよう、相続や売却などの際にも一区画を123平方メートル(約37坪)以上にすることを定めています」(中島理事長)



 造成当初の常盤台では、住宅地は100坪前後を確保する取り決めになっていました。今般、都内の戸建て面積は狭小化傾向にあり、100坪の住宅用地はお屋敷ともいえる広さです。そんな広大な住宅を所有・維持できる人は多くありません。



 そうした時代の変化を踏まえて、同協議会のガイドラインでも敷地面積は緩和。それでも現在の住宅事情に照らし合わせれば、37坪の敷地を有する住宅は一般的に大きな住宅と言えます。



 住環境や景観を守るために作成されたガイドラインですが、法的な拘束力はありません。あくまでも同協議会と住民との話し合いのルールです。そのため、大きな住宅地を維持できない所有者も出るようになり、これまでの常盤台の街にはなかった月極駐車場も見られるようになりました。また、所有はしているものの敷地内の樹木管理が行き届いていない住宅も増えています。

そうした事態を少しでも食い止めるべく、同協議会は千葉大学園芸学部の協力を得て「みどりのガイドブック」という緑化の手引書を作成。同ガイドブックは、誰もが実践できる身近な緑化や補助金制度を紹介する内容で、住民の緑化意識を高めることに一役買っています。



 今般、都は無電柱化への取り組みを加速させています。無電柱化には景観の向上という目的も含まれており、常盤台をはじめとする景観・街並み保存も同意義の取り組みといえるのです。



 小川裕夫=フリーランスライター

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